私に人を非難する資格があるのだろうか【がんばれ建設1723】
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がんばれ建設
~建設業専門の業績アップの秘策~
ハタ コンサルタント株式会社 降 籏 達 生
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■2021年3月4日
NO1723
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今日の一言
「現場のミスを許せるか」
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現場でミスをする。
寸法を間違える、配合を間違える、注文を忘れる。。
これはよくあることです。
またやってはいけないことと知りながら、
ついやってしまうこともあるかもしれません。
例えば、うそをつく、品質記録をごまかす、手抜きをする、
協力会社から金品を受け取る。。。
本来はダメなことばかりですが、決してやったことはない、
という人がどれほどいるでしょうか。
以下のようなお話しがあります。
ある日のこと、姦淫の現場を押さえられた女性が
キリストの前に引き立てられてくる。
モーゼの律法に従ってこの女を石打ちの刑に処すべきか、
それとも憐みをかけて釈放すべきかと、
ファリザイ人たちはキリストに、二者択一を迫る。
釈放せよと言えば、神の掟をないがしろにすると責められるであろうし、
石打ちにせよと言えば、日頃、罪人を赦せと説いている
自らの訓えに背くことになる。
この、絶対絶命の窮地を、キリストは相手の意表を突く返答で切り抜け、
さらに、人間の行動に先立つ心、目に見ない思いこそ、
裁かれるべきものであるということをものの見事に示されたのであった。
「あなたたちの中で、罪のない人がまずこの女に石を投げなさい」
キリストは、この女をどうするのかとの問いには答えず、
石を投げる“資格”を相手に問いただしている。
それに応えるかのように、石を投げることなく、一人去り、
二人去って、残ったのは、女とキリストだけになった時、
キリストは女に向かって、
「私もあなたを罰しない。行きなさい。
これからはもう罪をおかさないように」
と言われたのであった。
ただ一人、女に石を投げる資格をもっていたにもかかわらず、
キリストは投げなかった。
しかし、厳しくさとしている。
「これからはもう罪をおかさないように」
罪そのものに対しては厳しく、罪人に対しては、
あくまでも優しいキリストであった。
「私がいつも、この度のように、助けてやれるわけではないのだよ」
と、きっとキリストのまざなしは語っていたことでしょう。
昨今、マスコミやSNSで芸能人や有名人の罪を
必要以上に攻める傾向があります。
キリストの言うように、
「我々の中で、罪のない人がいるだろうか?」
自分のことをさておいて、人の罪ばかりをなじったり、
非難するのは、あまりに無責任すぎます。
「罪を憎んで、人を憎まず」
罪を犯してはいけないことは当然のこととして、
人を憎まず温かく接したいものです。
誰かを非難したくなったとき、我が胸に手を当てて、
自分に人を裁く資格があるのだろうか、と問いかけたいものです。
『忘れかけていた大切なこと』渡辺和子著
(PHP文庫)を一部参考にしました。
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【編集後記】
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