2018-1-29 建設業の心温まる物語/日刊建設工業新聞掲載記事を引用

私は高校を卒業して建築の専門学校に行き、大阪に本社があるゼネコンに就職しました。そこで現場監督を10年ほど経験しました。
私は四国で家族とともに暮らしていましたが、ある日、岡山に住む母から「お父さんが倒れたから戻ってきて家業である左官業を継いでくれ」と電話がありました。突然のことでとてもビックリしました。
父は中学校を卒業後、左官の腕を磨き、その後会社を設立していたのです。
私は悩んだ結果、実家に戻り父の家業を継ぐことを決意しました。しかし、左官の仕事は今まで行っていた現場監督とは畑違いの仕事です。私は、なんとなく現場監督の方が、格が上という意識があり、左官という職種になかなか慣れませんでした。
その後、父は車いす生活になってしまいました。私は、これからどうすればよいのか、思い悩みながらも、忙しくて愚痴を言う暇もないまま、がむしゃらに左官の仕事を行っていました。
私が左官の仕事をし始めて10年ほど経ったある日、父から「東京に行くから連れていってやる」と言われました。東京に何をしに行くのかと、不思議に思いました。東京に行く理由、それは、黄綬褒章を天皇陛下から授与されることになったのです。
その日、私は父の車椅子を押しながら皇居にいました。父が黄綬褒章を授与される瞬間に立ち会うことができたことは、最高の思い出です。いつも厳しい父でしたが、父を誇りに思うとともに、今は亡き父からの一番のプレゼントです。
親子二代で受賞できるよう、今後ますますがんばる決意です。