2018-6-25 建設業の心温まる物語/日刊建設工業新聞掲載記事を引用

私の父は、橋梁関係建設会社の水島工場長として橋梁上部工の製作をしていました。
私は建設会社に就職し、父と同じ岡山県倉敷で仕事をするようになりました。分野こそ違いますが、同じ建設の道に進み父は喜んでくれました。
倉敷で工事をしていると、ある協力会社の方が私の方に近づいてきてにこっと笑いながら、「松田工場長の息子さんですか」。私が「はいそうです」というと次のように言われました。
「松田工場長にはお世話になりました。息子さんと一緒に仕事が出来る日が来るとは思いもしませんでした」
それ以降も、父の名前を出してくださる協力会社の方が何人もいました。
「困っているといつも工場長に助けていただきました」
「いつもにこにこ笑いながら話しを聞いていただけました」
協力会社の方から聞くその父の姿は、私の知っている父の姿とは全く正反対でした。
母は「外づらが良くて気前が良いので、みんなから好かとるんよぉ」と言っていました。心優しく何でも親身になってくれたという話ばかりを聞くと、家で見せなかった仕事の時の父の姿が目に浮かび、逆に自分の未熟さを反省させられています。
そんな父も亡くなって5年以上経ちます。子どものころ「若いころ、設計に失敗して、工事中に橋脚を1本増やしたんじゃ」と聞かされ続けた新霞橋を通るたびに、優しい父に触れたような気がする毎日です。